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R.I.P 小川銀次

2015.08.08 Sat
小川銀次さんが8月2日に亡くなったそうです… 58歳。
一般的にはRCサクセションに一時期参加していてライヴ盤『ラプソディ』で弾いています。
よく伊藤銀次氏と間違う人がいますが全くの別人です。
個人的には、メーザーハウスという音楽学校で1995~1996年にギターを習っていました。

ギターも凄かったけど、それ以上に人柄や話に影響受けまくりました。
滅茶苦茶気さくな方で、好きなギタリストやエフェクターや機材の話、飼ってる猫の話(何匹も飼っていた)になると、
もう満面笑みで嬉しそうに語っていた表情が忘れられません。

シマジさんの書き込みで知りビックリ。コメントに書こうと思っていたら、
あまりにも長くなってきたので、こちらに。
残ってるブログを見たら病気になっていたのですねぇ…。
文体は昔ながらの銀次さん特有の文で、それが悲しい。

メーザーハウスで習ってた以降では、2002年にドラマーの故 宗修司さんのトリビュートライヴ
(1986年頃などに銀次さんの録音で宗さんが叩いています)を見に行ったっきりでした。
その時は、声かけようと思いつつ、覚えられてるかどうかもわからないしと思ってるうちにと声かけずじまいで、
今度ライヴ行った時に声かけようと思ってたら月日が経ち、まさかの訃報で知るという…。
その宗さんのトリビュートライヴでの銀次さん素晴らしかったです。当時の掲示板には書き込んだような気がするけど、記憶は定かでない…。

1986年の宗さんがドラムの銀次さんのソロ音源集


「ロックとは」「ギタリストとは」「音楽は自由だ」
という価値観の半分は銀次さんに植えつけられた気がします。
レッスンは毎回、ちょっとした課題とソロ回しが中心で、
課題でよく覚えているのは、
数えないでソロを弾いて32小節や64小節を把握できるか
(単調なオケをバックにソロを弾き32や64で終わらせる。数えたり無難にまとめようとする人がいたら怒られる。感覚でやれるようにと)、
変拍子を意識しないで把握できるか、など。
個人的によくもらったアドバイスは、「もっとアグレッシヴになっていい」「小さくまとまるな」「まとめに入るな」ということ。
内容がよかった日は、「最近何かいつもと違うもの聞いた?見に行った?」と聞かれ、
今日はアグレッシヴでよかったという日は、キザイア・ジョーンズのライヴを見に行ったと言うと、ほぉ~なるほど~キザイアか~!とか。

以下、超私的な銀次さんの想い出。

当時買ったメサブギーの真空管の入ったエフェクターを雑に扱っていたら、
あ!ダメだよ!管の入ったのは丁寧にしないと割れるからねと言われ、えっそうなんですか~とか。
あとお姉ちゃん(銀次さんは、女の子はみなお姉ちゃんと言ってました)が大事!お姉ちゃんでギターの音やフレーズが変わるよ!とか。
ギターのレコーディングは、コードを1度にジャーンと鳴らすのと、弦1本ずつ録音するのでは全く音が違うという話
(これ気になってやってみようと思ったけど、あまりにも手間なのでずっとやってなかった)。
ワウやワーミーなどのペダルを2つ同時に操作するという話
(ペダルに乗って両足でペタペタする、一時期は2台のペダルに板を乗せてやってたんだけど、それだと1台ずつ別のことができない)。
キーボードは弾けないんだけど、人差し指だけでガッツリ弾くのは俺は誰よりも巧いよ。
ドラムパッドのマシンを1発で人差し指で完璧するのは俺は凄いよ。

生徒に。曲を作れどんどん作れ、作ったら聞いてあげるから持ってこいと言っていて、
持っていくと、紙に独特の字体と文で、ギッシリと感想やアドバイスを書いてもらえるというのがありました。
その頃、メーザーハウスの発表会で自作曲をバンドでやってギタリストの賞をもらって先生たちにベタ褒めされていたので(今思うと恥ずかしい…笑)、
これなら褒められるんじゃないかと持って行ったら、ボロクソ書かれて、げ!!!と思い、
悔しいというのもあり、以来、4トラックのカセットMTRに1人で録音して、毎週作っていきカセットを渡し、
ニコニコしながらボロクソ書かれてるという…笑。
でも曲もギターも録音も毎週どんどんよくなってると、段々褒められていって、
毎週楽しみにしてると言われ、どんどんよくなってるんだよ~~と言われて嬉しかったのをよく覚えてます。
自分の作った音源をじっくり聞いてもらい専門的に色々感想をもらえるというのは、後にも先にもなかなかないことで、
他の生徒はみんなビビって誰も持って行かなかったけど、あれはとても刺激的で面白かったです。

もらった感想の紙は今でもとってあるのですが、それを見たくて探したけど、
部屋のどこにいったかわからず…。3枚くらい残ってるはずなで、あれは一生の宝物。

銀次さんのソロ音源で印象的なのは、レイアースという少女漫画的なアニメのテーマ曲を最近作ったから聞いてと、
爆音で聞かされた音が壮大で物凄くて、なんでこんな凄いものを変なアニメに使われちゃうんだろう、
日本の音楽業界それでいいのか!と思ったこと
(この曲はレイアースのサントラに「CEFIRO 〜FZ〜」というタイトルで収録され、銀次さんが1人で自主制作で何枚も作っていた
『Private Diary』シリーズの『Private Diary 1996.2』に「Zappaが笑った」というタイトルイントロやアウトロの追加ありで収録されていたのを今知り、
iTunesにあったのでアルバム買いました。この曲が1番好き。この曲はギターを38本使ったとか)。
プログレ系が中心なのに、曲のタイトルが「だんだん畑でおにごっこ」とか「大地をゆるがすサイのイヤイヤ」とかおかしいんだけど、
銀次さん的にはどれもイメージがしっかりあったようで熱弁していた気がします。

その名曲「Zappaが笑った」が入っている Private Diary 1996.2のiTunes

『Private Diary』シリーズは自主制作で1996年当時で10枚くらいあり、これを100枚組でドーンと出すという構想があると話していたような気がします。

レッスン終了後、スタジオで爆音で銀次さんオススメの1曲をみんなで聴くというコーナーがあり、
出来たばかりのレイアースのテーマもそうだけど、ジミヘンのバンドオブジプシーズ収録のライヴ「Power Of Love」が強烈でした。
このCDは持ってたけど、ここがいいんだよ!と銀次さんの熱い解説付きで、「ここ!ここ!うわー!」と言われながら聴く、
「Power Of Love」は最高だったし、以来これ聴く時は銀次さんのことを思い出すという。
ジミヘンは1音でジミヘンだってわかるのが凄いし、1音で宇宙まで吹っ飛ぶのが凄いと言ってた気がします。

RCサクセションに加入したのは、清志郎さんが銀次さんに惚れ込み、半ば強引に入れたようで、
銀次さん的には自分のバンド「クロスウィンド」がメインであり、段々離れていったようでした。
清志郎さんの本でも、銀次さんの話でも色々聞いて、なるほど自然の流れだなぁと思いました。
バンドのアレンジのことでも銀次さんは色々アイデア出してて、
有名なアレンジャーか何かが言ったことを銀次さんよりも優先してガックリきたというこ話もあったような。
ラプソディ前後のバンドのアレンジ素晴らしいです。
清志郎さんが亡くなった時、銀次さんはブログか何かで追悼の文を書いていて、
内容は忘れちゃったけどとてもよかったです。
個人的には、RCが1番勢いのあった時で、続いていたらもっと大きくなったんじゃとも思うし、
もっとRC+銀次さんの音を聞いてみたかったけど、ラプソディ/ラプソディ ネイキッドという、
RCの最強ライヴ盤が存在して、一生聴けるだけで幸せなことかなとも。

当時はメディアに「ストーンズにヴァンヘイレンが入ったようなチグハグさを感じる」というのがあったようで、
その意味はよくわかるけど、逆にそれが化学反応を起こしていて、完成度も異様に高いし面白かったです。

初めてラプソディを聴いた時、1曲目の「ようこそ」にやられました。
バンドのメンバー紹介を、あんな凝ったアレンジのしっかりした曲で、メンバーの個性を演奏と清志郎さんの言葉でやるという、
こんなアイデアがあるものかと。
バンドのメンバー紹介って、バンドのライヴでよくあるつまらないことだけど、
それをガッツリ曲にするというのは、RCとフィッシュマンズしか知らない。
フィッシュマンズはRC大好きだったから、フィッシュマンズの凝ったメンバー紹介は、絶対RCの影響からだったと思います。

RCサクセション / よォーこそ 1980


fishmans "oh slime"

RCの「よォーこそ」からの影響があると思いますが、サイケでダビ-でユーモアのある完全にフィッシュマンズの音とアレンジで見事です。

どちらも凝ったアレンジでのメンバー紹介で、これは海外のロックでも全く聴いたことのないアイデア。


銀次さん加入前のRCはアイデアは沢山だし、ハードフォークと言われた初期も素晴らしかったけど、
バンドの音で洗練されつつロックのダイナミズムがあったのは、銀次さんがいた頃だったと思います。


ちなみに忌野清志郎の1番好きな歌はスローバラードや雨上がりではなく、
「ヒッピーに捧ぐ」。これは猛烈に美しい歌。
RCの不遇の時代にRCに入れ込んでいたマネージャーが若くして死に、そのマネージャーへの想いを歌った『シングルマン』収録の歌で、猛烈に美しい。
Sionの「12号室」(8歳の時に小児麻痺で入院した時のことの歌)に並ぶ、一聴するとわからないけど実は猛烈に美しい強烈な名曲。

”ぼくらは歌い出した 君に聞こえるように 声を 張り上げて~”の熱唱とラストの腹の底からの神がかった叫びに毎度感動します。


Sionの「12号室」


RCサクセション『ヒッピーに捧ぐ』 作詞:忌野清志郎、作曲:肝沢幅一(忌野清志郎の作曲の時の別名。作曲家っぽい名前と)

 お別れは
 突然やってきて 
 すぐに済んでしまった
 
 いつものような 
 なにげない朝は 
 知らん顔して 
 ぼくを起こした
 
 電車は動きだした 
 豚どもを乗せて 
 ぼくを乗せて
 
 次の駅で
 ぼくは降りてしまった

 30分泣いた
 涙をふいて 
 電車に乗りこんだ
 遅刻して
 ホールについた
 
 ぼくらは歌い出した 
 君に聞こえるように 
 声を張り上げて
 
 検屍官と市役所は
 君が死んだなんて
 いうのさ

 明日また 
 楽屋で会おう 
 新しいギターを
 見せてあげる
 



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レラちゃんが亡くなったそうです

2014.10.18 Sat

2006年から2008年頃、ソロのサポートや、睡眠塔(すいみんとう)というバンドや、
ハテナオーケストラという即興バンドなどで、一緒に音楽をやっていたアシリレラこと、レラちゃん(ゆうきちゃん)が、
数日前に交通事故亡くなったそうです。
泥酔して赤信号でバイクにひかれたそうで…。35歳だったようで。
いきなり死んじゃうなんて。


ここ5年くらいは全く連絡を取ってなくて、
Mixiで、レラちゃんが退会しては戻って申請がきてとか、
そのメッセージがきてたくらいでした。

初めて会ったのは新宿Motionで対バンした時で、
Vocalの素晴らしさとキャラの面白さに痺れ、
なんとなくギターでソロのサポートをするということになり、
その後、一緒にバンドをやろうと、下北の路上で缶コーヒー飲みながら、
音楽話から、レラちゃんの北海道話と泥酔話を色々聞かされたり、
睡眠塔のメンバーで河原でバーベキューしたり
(楽しいからまだ帰らないとコンビニバイトの時間になっても帰らず、
皆に心配され、結局コンビニ店長から怒りの電話がきて、それで帰って翌日レラちゃんから謝りのメールがくるという)。

当時から、酒を飲むと、キャラは変わりテキーラを何杯も飲んでは、
陽気になって誰にでも絡み、フラフラになって記憶をなくすまで飲んで、
翌日謝りのメールがくるという、一連の流れ。

気が付いたら道路で寝てたとか、警察に保護されたとか、
そうゆうエピソードが沢山あり、
普段は人懐っこくて真面目でいい子なのに、どこまでも飲んで歯止めがきかず、
皆に注意されたり心配されたりして、翌日謝りのメールがくるという。

睡眠塔では、ライヴやスタジオの当日に、
当時のめり込んでいた彼氏との恋愛絡みでのスッポカシが続いて、
翌日には謝りのメールや電話。
レラちゃんだからしょうがないと思おうとしつつも、
これではバンド活動は出来ないと思い、続けていくのは無理だなと。

ちゃんと録音して形に残せば、絶対ちゃんと評価されるはずと思って、
睡眠塔でレコーディングを始めたのだけど、
どうも窮屈そうで、何かとうまくいかず、数曲録音したところでそれも頓挫しました。

入り込んでる時の歌は本当に物凄いのに、
歌と同じように、酒や恋にも溺れて、限界を超えていくような。
現実からポンと飛んでいくようなところがあり、
そこが歌の凄さでもあったけど、現実から飛び出せるなら何でもいいような感じもあり。

レラちゃんと一緒に音楽活動をやるというのはとても難しく、
色々悩みまくったけど、その時に凄く思ったのは、
昔のロックスターってこんな感じだったのかなと。
レラちゃんを見てるとジャニスみたいな。
人懐っこくて、酒や恋に溺れて、歌は凄いんだけど、ステージを降りたら誰もついていけないみたいな。
関わるには、保護者になるくらいの覚悟と時間がないとやっていけないんじゃと思わせるような。

歳をとったら落ち着いてきて、いつかまた一緒に音楽やることもあるかもと思っていたけど、
まさか死んじゃうなんて。

ちゃんと歌ってたかと思ったら即興で軽くどこまでも突き抜けていくような、
枠組を軽く吹き飛ばして空気を変えるような
そんな感じは、Honziさんやジミヘンのようなレベルに感じてました。
アコーディオンのリズムのヨレっぷりは酷かったけど。笑

凄かったと言うと、大喜びするんだけど、
再現しようとか、そこを伸ばそうという気はあまりなく、
褒められて喜んでる子供みたいな感じで、嬉しいな嬉しいなとただ無邪気に喜んで、
何も覚えてないから同じことはできず。

歌も生活もコントロール出来るような大人な人に出会えていたら、
きっと一流のヴォーカリストとして大成したんじゃないかと思うんだけど、
子供っぽいレラちゃんは、子供っぽい人を好み、
子供っぽい人達に囲まれて、色々と悩み、喜び、頑張り、しでかし、怒られ、謝る、これを繰り返していたような。

ハテナオーケストラのスタジオ練習で、ソロをやるところがあり、レラちゃんはどんな歌や声をやるのかなと思ったら、
物凄い真剣な表情で、いきなり「でんぐり返し」をして、しかも足をどこかにぶつけて、みんな度肝を抜かれたこともあったなぁ。


レラちゃんと知り合った頃のことを書いたあっしのブログが残ってました。
http://uroco.exblog.jp/4146923/
すっかり忘れていたことばかり。
色々忘れていっちゃうのは哀しいな。

レラちゃんと共演した時の映像は持ってるので、
レラちゃんの友達や知り合いで、欲しい方は言ってもらえればDVDとかにしてタダで送ります。
レラちゃんが1人で作ったデモテープも、CD-Rにして残ってるはずなので、探そうかな。

初めて共演した時のライヴ映像
http://youtu.be/IRpPs4AsJoY

アコースティックイベントでサポートを頼まれてアコギを叩いてサポートした時の映像
http://youtu.be/Dxbk6tuO1sY

合図で内容を変える即興バンドで、睡眠塔と全く同じメンバーの
ハテナオーケストラ(レラちゃんはアコーディオンと声)
http://youtu.be/7cn5rNUzLrw

睡眠塔(ヴォーカルとアコーディオンがレラちゃん)
http://youtu.be/Bdtre9qhJLw
http://youtu.be/1ysuosZG2U0


レラちゃんの去年のツィート
https://twitter.com/asililera/status/364309069328162816
https://twitter.com/asililera/status/361824122709344256
https://twitter.com/asililera/status/334594464108642304



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竹内さん

2012.09.13 Thu
※この記事は2月に書いて、後で手直ししてアップしようと思いつつ、そのままになっていたものです



「ぐるぐる回る」「廃校フェス」主催者の、
竹内知司さんが、2月6日にお亡くなりになりました。37歳だったそうです。


年明けには年賀メールで、今年のぐるぐる回るの日程を、2月に連絡すると、
去年のキュレーター陣はチームワークなど素晴らしかったので、
是非またこのメンツでやりたいと、

5月には「ぐるぐる上る」という前夜祭的な2日イベントをやる予定で、
これこれのバンドに声をかけていますと、
相変わらず精力的に動きまくっていたので、
まさかの訃報でした。突然、倒れたとのことです。


竹内さんとは、去年「ぐるぐる回る2011」のキュレーターに参加して、初めて知り合いました。

「ぐるぐる回る」は2010年が1回目で、
その時は、出演者として出て、趣旨や概要としては素晴らしいフェスだけど、
音の反響や、終始、大音量が鳴っていて、くつろげるスペースがない、
場所や案内がわかりにくい、など、
次回があるなら、色々改善したら、もっと素晴らしいだろうなぁと思いました。
(この問題点は、自分が言うまでもなく、2011年の企画書では、
 隣接するステージはライヴの時間をずらすという形になっていたり、色々改善されていました)

2011年も開催され、キュレーターを募集していると聞いて、
それなら是非参加して内側からも関わりたいなと思い、
応募のメールを送り、竹内さんとメールのやりとりをして、
参加することになりました。

参加が決まった時のメールには
「一緒に面白いフェスを作りましょう!」という言葉が最初と最後に2回入っていたのが印象的でした。


実際、関わってみて驚いたのが、大規模なフェスを、
個人で考え(キュレーターを10人くらい設けて、各ステージは概ね任せつつ)、
色んなことをD.I.Yで節約に節約を重ね、
スポンサーもなしにやっていたことで、
そんなことができるものなのかと衝撃的でした。

手作りフェスという感じで、何ヶ月も前から、
ライヴに関しては勿論、ルールや会場のことなどなど、
色んなことを、メーリングリストで、
竹内さんをはじめ、キュレーターやスタッフが話し合い、

埼玉スタジアムの下見に行き、早稲田のロビーで打ち合わせ、
決起集会という名の飲み会&親睦会を3回も行い(竹内さんは3回とも出席)。
色々提案したり、却下されたり、話し合う度に、
竹内さんの趣向というか、一体どうゆう人なんだろうと興味を持ちました。

今思えば、続けるということが大前提で、
その為に、会場が使えなくならないよう細心の注意を払うということ、
続けるためには、多少の犠牲はやむを得ない、
という意向があったのだなと思います。
「ぐるぐる回る」の前身である、成功していた「廃校フェス」は、
結局、会場が使えなくなって、続けられなかったという面もあったようで。


ぐるぐるのHPを作り運営し、システムを考え、
フライヤーを作り、出演者のライヴに行って撒きまくり、会場側と打ち合わせ。
キュレーターやスタッフと相談して決めていくことも多かったけど、
実際、事前の準備の半分くらいは竹内さんが1人でやっていたような。
この人の行動力は半端ないなぁと、その原動力は一体なんなんだろうと不思議でした。

事前の打ち合わせの中で、
会場の電気が足りなくなり、ブレーカーが落ちる可能性がありえるとなり、
業者から発電機を借りることになった時には、
電気の回線をこうこうこうして、ここから引っ張り、このステージはここでー、
などグングン進めていて、一体どこまでスキルがあるのかと驚いたり。


自分の担当したステージに関しては、
呼ぶバンドのチェックから始まり、
ステージの装飾(会場の制約的に半分却下)、
ライヴの転換時に生音でライヴをやっていいか(却下)、
などなど、概ね色んな理由で却下されることが多く、
案を出す度に、若干困った顔をされることが多かったような。


会場の下見の時は、うちの1歳の娘を連れて行くことがあり、
そんな時は、嬉しそうに満面笑顔で、いつもと違う表情で子供に話しかけて可愛がってくれてました。
お子さんがいるそうで、自分の子供の1歳の頃を思い出すと。

打ち上げの時は、とても嬉しそうで、
誰か来る度に、はーい!○○さんが到着しました~!と仕切っていて、
意外な1面を見たような。
来年、誰を呼びたいかと皆に聞きまくって、身を乗り出していたり。


訃報を聞いてから、Blogを知り、遡って見ていくと、
竹内さんの音楽愛というかインディーズ愛というか、
そうゆう面がよくわかり、そうだったのかと、
先に見ておけばよかったなぁと。
ライヴハウスについてや、インディーズシーンについてなど、
共感することも多く、酒飲んで色々語ってみたかったなぁと。


竹内さんを検索した時に、2010年のぐるぐる回るでのトラブルのことが上がってきて
(この件は、概要をよく知らず、それらの記事を読んでもよくわからないので、触れませんが)、
けっこう叩かれてたりして、
で、その人達は竹内さんには会ったことはなく、
どんな人なのかと書いていたりするのですが、

バンドやインディーズをこよなく愛し、
自分が見たいイベントを、出来るだけお金をかけずに手作りで、D.I.Yで作ろうと、
あくせくあくせく動き回っていた人だと思います。
お金をかけずに個人でやるから、抜ける部分があったり
(徹底的にお金をかけない方法を考えてやっていたけど、それでも「ぐるぐる回る」は2回とも赤字でした)。

廃校フェスはわからないけど、ぐるぐる回るは規模が大きすぎて、
特に2010年の1回目は管理しきれないことが多かったのだろうなと。
HPのプロフィールなどに、
バンド名の抜けてるものがないかなど、とても気を配っていて、、
「これをしっかりチェックしないと、また僕がディスられちゃうんで」と。


竹内さんが亡くなり、今年の「ぐるぐる回る」をどうするか、
やれるのか、やれないのか、
去年のキュレーターやスタッフ達で、これから話し合っていきます。

個人的には、竹内さんが一貫してやろうとしていた、
「文化祭のようなロックフェス」に共感するので、
何かしら、出来たらいいなと思います。

亡くなったから継ごう、勿体ないから継ごう、というのではなく
(去年のフェス後、皆から反省点を聞いて、きっと今年は改善して、もっとよくなると思っていたはずなので、
 きっと、心残りだと思いますが)、
やろうとしていた意志に共感するから、意志を残す意味でも、何かやりたい、と。



個人でも本気でやろうと思えば、
フェスだって出来るものなんだと、色々出来るんだと、
色んなことが勉強になりました。



↓以下、竹内さんのとても興味深いBlog。
バンドやってる人は、面白いのでどれも是非見てほしいです。
インディーズやライヴハウスに関しての話などなど。

亡くなる3日前のBlog
・夢がすぐ側にあることは、幸せなことで、とても不幸せなことだ

外国人記者が日本のライヴハウスのノルマ制について書いた記事の感想。
日本のインディーズシーンについて。
・ライブハウスのノルマは悪ではない:訳者解説というか感想

同じ外国人記者による記事の訳
・ここがヘンだよ、日本のインディーバンド

・ライター仕事

・サルでも作れるレーベル講座

・僕がライブハウスに行かない理由

・日本の音楽誌のCDレビューについて

・ナンシー関さんのこと。

・日本のインディーズミュージシャンに言いたいことがある。「続けて」と。





Theme:音楽のある生活 | Genre:音楽 |
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マイケル・ジャクソン

2009.06.26 Fri
マイケル・ジャクソンが亡くなりました。

1992年だったか、Wowowで流れたライヴ映像を友達に録ってもらったビデオ
(これは何年か前にDVD化されました。マイコーのLiveの決定版と言えるのでお勧めです)を
見て衝撃を受けて以来、それを超えるエンターテイメントのライヴは見たことありません。

公式に出てる映像は殆ど全部見ましたが、
個人的にはPVよりも、ライヴ映像の方が好きです。
特に、1992年?のライヴ映像と、グラミー賞関係のMTVライヴ。

ここ何年かで再び興味を持ってたところだったので、
生で見てみたいと思ってたけど、もう永久に見られないのか…




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忌野清志郎さん

2009.05.05 Tue
忌野清志郎さんが亡くなったというニュースを聞いて、
大ファンではなかったけど、
この人が存在しているかいないかでは、何か精神的に物凄く違うなぁと思い、
尊敬する凄いミュージシャンには、何でもいいから長生きしてほしいなぁと思ったり。
理屈じゃなく。

別に世の中の人の誰々なら死んでもいいのに、とは思わないけど、
何でもいいからあなたには生きていてほしい、
存在していてほしいと、勝手に思ってしまう。

忌野清志郎さんといえば、
洋楽日本語カバー(RCの名盤「Covers」)の新しい形を提示したり、
レコード会社を批判する歌、テレビで大手ラジオ局を批判、
覆面バンド「タイマーズ」、意外なコラボ、斬新な歌詞、などなど、
あまり売れていない時から、売れてからも、
ずっと色々なことの先駆者であり、
メジャーでこんなこと出来るんだ、意志があれば何か出来るんだ、
と思わせてくれた偉大な方でした。

RCサクセションの『RHAPSODY NAKED』は一生もんの名盤です。
これがRockだと言える、ヴォーカル、音、アレンジ、演奏、空気、パフォーマンス、
曲中での粋なメンバー紹介、 ユニークな歌詞、煽り、ゲストとの粋な絡み。最高峰。


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Honziさんが亡くなりました

2007.10.01 Mon
9月27日にHonziさんが逝ってしまいました。
突然のニュースでとてもショックです…。
心よりご冥福をお祈り致します。



最近、スキンヘッドになったと話に聞いて、
大胆でHonziさんらしいなぁと思っていたのですが、
病気でのことだったのかもと思うと悲しいです。
体調不良で出演予定だったライヴを、
何本かキャンセルされたという話を聞いて、
どこか悪いのかな、程度に思っていたのですが、
まさかそんな状況だったとは…。
癌だったという噂もあります。

2003年12月23日【規格外Vol.4】(高円寺ペンギンハウス)に
Honzi's Worldで出演していただいた時のライヴ映像です。

Honzi's World「ひこうき
Honzi's World「Gatera-Gata
Honzi's World「瞳孔のお話 -Story Of Pupils-

あまりよく撮れてるわけでもないし、
ご本人の許可なく載せるのはよくないとは思いますが、
Honziさん=FishmansやUAなどのサポートミュージシャン 
という認識の方が一般的には多いようなので、
Honziさんメインのユニット【Honzi's World】の
素晴らしいライヴのカケラを是非見てもらいたいなと。
Honzi's Worldのライヴ音源かライヴDVDを誰か出してほしいです。

この時のライヴは、イベントの雰囲気などに合わせてか、
即興色が濃い、若干普段と異なる感じの内容でした。
格好も普段のライヴとは随分違ったり、
色々と企画に合わせて準備してくれたんだなぁと、
懐の深さを感じたり、感激でした。

「ひこうき」の名カバーは、Fishmansの演奏よりも好きでした。涙
「みんな夢の中」と「ひこうき」はライヴを見る度、
泣きそうになりましたが、居なくなってしまうと、
より歌詞が深く刺さります。

初めて『 Honzi's World 』を見たのは、
2001年12月、千葉の野田JAMという喫茶店
(小さなステージと機材がある)で、
吉川国民さんからHonziさんのライヴの話を聞いたりして、
猛烈に見たくなって、相模原から野田まで電車で見に行ったのでした。
地元ではないお客さんが少なかったせいか、
お店の人に1番前の席に案内され(小さなお店なので、もうすぐ目の前)、
このライヴが物凄くよかったです。
涙が出てきたり、強烈に脳に焼き付いてます。
生楽器でのバンド形態で、繊細でいて激しく、
バイオリンで縦横無尽に弾く時はサイケ感もあり、
これがHonziの世界なのかと、大ファンになりました。
この時のバックは、上々颱風のメンバーだったと思います。
ドラムありで見たHonzi's Worldはこの1回だけでした。

以降、ちょくちょくチェックしては、たまに見に行き、
すぐに顔を覚えてくれて、気さくに話し掛けてくれたり。
2003年に企画に誘った時も、快く出てくださり感激でした。

その時はMCで、「規格外、まさしく私は規格外、Honziです」と。

Honzi's Worldでのライヴの本数は少なく、
チラシや告知もないので、いつライヴをやるのか、
公式サイトの掲示板をマメにチェックしないとわからない感じでした。
やる時も小さなお店が多く
(大体ライヴハウスではなく、ご飯やお酒がおいしい感じの小さなお店が多かったです)、
もっぱら色々な人のサポートでの活動を忙しくやっておられました。

1,2年前から、自主企画を下北沢のLeteという、
キャパが20人程度のかなり小さなお店で定期的にやり始め、
その時のソロでは、携帯の音(とてもシンプルな音)を使ったり、
小さな鉄琴や、おもちゃを使ったかわいいライヴもやっていました。
カセットOnlyの音源『Three』と『Four』をそのとき買いました
(手書きのパッケージで、手作り感たっぷり)。

バイオリン、アコーディオン、シンセ、鉄琴、おもちゃ、など
色々な楽器を、曲に合わせて持ち替える感じで、
演奏する時の、かしこまっていない、堂々とした自由な雰囲気が
完全に自分の世界を確立している人、という雰囲気がありました。

HONZIさんが凄い緊張感でバイオリンを弾く瞬間は、
BJORKが声を張り上げた瞬間、ジミヘンがギターで飛んだ瞬間、
と同じような、背中に何か光るものがキーンと駆け抜けるような、
特別な何かを感じました。


Honziさんが参加していた【福(FUKU)】の
スパン子さんの28日の、
Honziさんへの思いを綴った素敵な日記


bounce
柏原譲blog
RIPとはラテン語 Requiescat in Pace
(英語バクロニム Rest in Peace)の頭文字で、
「安らかに眠れ」という意味だそうです。
公式サイトの掲示板
Honziとその仲間たちの掲示板


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チャイナさん

2005.11.14 Mon
DMBQのサイトから
平素はDMBQをご愛顧頂き誠にありがとうございます。
皆様には残念なお知らせがございます。
彼らメンバーは10/12より米国サンフランシスコからスタートしたアメリカツアーの最中でしたが、アメリカ現地時間11/4金曜日の午後1時ごろ、メンバー一行が乗車していた移動車がニューヨークに向かう途中、バルティモア地区の路上で交通事故に巻き込まれ、ドラマーのチャイナこと西浦真奈が亡くなりました。

今回の事故により、以降予定されていたアメリカツアーの全公演は中止させていただきます。
皆様には再編成されたメンバーによる新生DMBQの海外進出のスタートとして多大なる応援をいただいておりましたが、このような形になってしまい、この情報に関わっていただいた新旧の関係スタッフも、無念でなりません。
今後の動向につきましては決まりしだい報告させていただきたいと思います。

ここに西浦真奈への生前のご厚誼を感謝し、謹んでご報告申し上げます。

2005年11月10日  DMBQスタッフ一同



gyuune cassette の 掲示板 (13日)



F.M.N.SOUND FACTORY 掲示板(14日)

に、山本さんの言葉が。 涙



羅針盤解散は残念ですが、羅針盤解散ということは、
羅針盤以外での山本さんの音楽活動は続いていくと解釈できますよね。
残念な出来事で、想像もつかないダメージだと思いますが、
山本さんの今後の音楽活動がまた見られるというのは救いで嬉しいです。



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ジミヘンの命

2005.09.20 Tue

18日はジミヘンの命日でした。

前はジミヘンの命日は、仕事休んで朝から、持ってる全アルバム
(公式&非公式で凄い量)&ビデオを見て聴いて、
ジミヘン本(色々出てます、ジミヘン語録やジミヘン創作ノートとか面白いです)を読んで過ごすという、
盲目的なファンになる日なのだけど、
忙しくて今年は無理で、頭の中のジミヘンスイッチを入れて、
『Axis:Bold As Love』を聴いて改めてシビレたくらい。
ジミヘンは集中して聴くと、無限に広がっていくような感じがたまりません。
20歳くらいの時に左肩に入れたジミヘンのタトゥが綺麗で、
あ~あの時、ジミヘンをわかってる腕のいい人
(横浜、黄金町?の小さなBarで『幻限』て店だったかなぁ)に入れてもらって
ほんとによかったなぁと思ったり。

いつか背中かおでこに『?』(ハテナ)を入れたいなぁ。

ジミヘンのギターは、ソロでもコードワークでも何でも、
色が、ジミヘン色&ジミヘン界って感じが凄いなぁ。
グギョ~って昇っていく凄まじいソロには、
昇っていく音にジミヘンの顔が乗っているような。
ギターのコードや音から凄まじいソロから弾く時や話す時の表情からアームやエフェクターの使い方や音の重ねかたから、もう全部よすぎる。なんなんだこの人わ!

ブートはもとより、再発関係やDVD化を追い始めたらキリがないので、
もう買わないようにしてるけど、DVD欲しくなってきた…。
けど最近出費が多くて大変だぁ。

●ヌーノモデルのギターのアームが2500円
●チャリンコ盗まれて、半額で買う(保険)ので6000円
●関西ツアーのバス代(先払い)

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